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大分県 事業承継・引継ぎ支援事例
当センターにて支援した事業者様の事業承継・引継ぎ事例を紹介しています

豊後大野市三重町市場1153-3 tel.0974-22-6360

お食事処 若竹
人の手がける料理が多くのファンの舌を満足させてきた『若竹』の未来は、長男の手に委ねられた。「継ぎたくなかった」はずの息子は、名店仕込みの父の味と技、プライドを承継しつつ、自分なりの道を切り拓いていく。
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今後は自分なりの方法で、店を守っていってほしい

親・髙倉一義さん

地域を盛り上げながら、店の活気につなげていきたい

子・髙倉健至さん

企業概要
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国道326号沿いから少し入ったところにあるお食事処。先代である和食の職人・髙倉一義さんが昭和53年に開業。昭和59年に現在地に移転して会席料理の提供を行っている。

承継年表

2021年11月 > 髙倉一義さんが豊後大野市商工会に事業承継の相談、当センターを紹介される。
2021年12月 > エリアコーディネーターが事業所に訪問し、センター登録。専門家派遣で事業承継計画を作成。
2022年1月 > 事業承継計画書が完成し、事業承継についての合意を得る。
2022年1月 > 髙倉一義さんが廃業届を税務署に提出、後継者の健至さんが保健所や税務署などに開業手続きを行い事業承継完了。

帰郷して初めてわかった、仕事の大変さと父の偉大さ

 東京の大学に進学し、卒業後は都内の編集プロダクションでライターの仕事をしていた髙倉健至さん(49歳)。長男として生まれたが、「両親の仕事を継ぐつもりは、まったくなかった」と語る。
 転機が訪れたのは、30歳の時。三重町に道の駅がオープンする際、その一角に支店を出すことを決めた父から「人手がほしいから帰ってこないか」と打診された。
 「年齢的に、将来に漠然とした不安もあった時期と重なり、思いきって帰ることにしました」。
 健至さんの両親、一義さんと幸代さんが『若竹』を創業したのは、1978(昭和53)年。箱根や東京などの名店で和食の修行した一義さんは、「東京の店が自分の原点。ぜひ名前を使わせてほしい」と修業先に相談し、この名を使う許しを得たそう。出身地の緒方町ではなく人口の多い隣町の三重町に店を出し、その5年後、道を挟んだ現在地に移転。最大60人の団体客にも対応できる規模に拡大した。
 店を手伝うために帰郷した健至さんだが、料理は未経験。ほとんど包丁を握ることがない生活を送っていたのだが、職人気質の父が学校のように丁寧に教えてくれるはずはない。一流の名店で培った調理技術により一から手作りする料理。手間を惜しまず「本物の食」を提供するという、『若竹』の礎を、「自分で見て、技を盗む」ため、メモを取りながら必死に体に覚えさせた。
 「今まで親父の仕事をちゃんと見ていなかったから、帰ってきて一緒に働くようになって初めて、その凄さがわかりました」。

父の入院とコロナの現実が承継の後押しになった

 承継を本気で考えるようになったのは、一義さんが体調を崩し、新型コロナの影響も出始めた頃。昼の客足は激減し、夜の宴会予約も軒並みキャンセル。一義さんも体調不良となりいよいよ店に立つのが難しくなり、「この店をどうするか、皆で考えました」と幸代さん。2人の娘を交えた親子4人で話し合い、「せっかく、これだけのものを築いてくれたんだから、できるところまでやってみよう」と結論を出した。
 「店を開けてもお客さんが少ない状況で、いやでも時間の余裕だけは増えていきました。それなら、この時間を承継の準備に使おうと気持ちを切り替えて、一気に方向性を固めました」。
 現場に父不在の状況での承継準備は、思っていたよりも難しく、特に、和食一筋の職人の「味と技の承継」に苦心したが、「一歩踏み出さなければ歩みは始まらない。自分一人ではどうしようもないが、母と2人の妹と助け合いながら、お客さんを満足させる店を守っていく」と、決意を固めた。
 コロナ禍を乗り越えるため昼の弁当配達を開始し(現在は終了)、料飲店組合の組合長として同年代の店主らとともに成長する方法についても積極的に意見交換した。
 「豊後大野市が観光PRに乗り出し、今やブームのサウナで全国に名前を知られるようになりました。コロナも落ち着いてきて、昼は外から豊後大野に来てくれる人も増えているので、そういう人達が利用しやすい店づくりをしていきたいし、人の流れがさらに復活したら自分も積極的に外への発信に動こうと思っています」

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豊後大野市では数少ない、本格的な和食を提供する『若竹』。健至さんの代になり、和食一筋の職人である父の技術を超えることは難しいが、自分なりにアレンジしながら料理を提供している。今後は観光客へのアピールにも力を入れる。

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厨房の勝手口のすぐ横に設置したカマド。強烈な火力で米を炊き、熾火(おきび)で約1時間蒸している。

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健至さんは東京でのサラリーマン生活を経て、30歳を機に帰郷。父・一義さんのもとで技と味を覚えていった。

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『若竹』自慢のカマドをデザインした暖簾。手間ひまかけて一から作り上げる親子二代のこだわりの象徴だ。

センター登録専門家を派遣し、スピーディーで円滑な承継を実施

支援開始の時点はコロナ禍であり、飲食店は非常に経営が厳しい状況の中、前経営者が体調不良となり、事業承継が急務でした。センター登録税理士を派遣して事業承継計画を作成、スピード感をもって事業承継を行うことができました。今後は新しい感覚の販路拡大、特にホームページやSNSなどの情報発信に力を入れる必要があるため、商工会を通じた支援を継続していきます。

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